「走ることについて語るときに僕の語ること」は、村上春樹がランナーとしての日々を綴った随想である。
そこには、ただ走るだけの日常の中に、「なぜ自分は走るのか」「なぜ続けるのか」という、作家としての静かな哲学が詰まっていた。
それは一見、営業マンである僕の日常とは無縁のように思える。
けれど、朝から夕方まで、ひたすら電話をかけ続ける──断られ続ける──その単調で孤独な時間の中で、僕が考えていることも、案外、似たようなものかもしれない。
■ 単調な繰り返しが“考える時間”をつくる
100件テレアポをかけて、95件は断られる。
正直、話す内容のほとんどはルーティンだ。声のトーン、第一声、間の取り方──どれも無意識の中で自動運転されていく。
だからこそ、頭の中はむしろ、自由だ。
「このやり方でいいのか?」「もっと届く言葉はないか?」
あるいは、「今日の夜、何食べようか」とか「そもそも俺、営業向いてるのかな」とか。
春樹が「走っていると、頭の中に沈殿していた思考が浮かび上がってくる」と語ったように、
僕も電話の繰り返しの中で、否応なく“自分”に向き合わされる。
■ 競争相手は、他人じゃなくて「昨日の自分」
営業の世界には、常に“数字”がついて回る。
けれど、「○件アポを取った」「成約した」という結果よりも、「自分が昨日よりマシになったか」が唯一信じられる基準だ。
村上春樹がマラソンで記録を追う中、「他人に勝ちたいわけではない」と語っていたのと同じだ。
僕も、昨日より1件でも“話を聞いてもらえた”なら、今日も電話をかける意味があったと思える。
■ 続けることにしか、意味はない
やめるのは簡単だ。
「どうせ断られる」「こんなやり方、効率悪い」と言ってしまえば、それで済む。
でも、電話をかけ続けること──それは、相手の反応よりも、自分の在り方を問う行為だ。
村上春樹は走ることを「体力ではなく、気力の問題」と書いた。
営業もまったく同じ。成果ではなく、「今日もやりきった」と胸を張れるかどうか。
それだけが、心を繋ぎ止める。
最後に
100件の電話のうち、話を聞いてもらえるのはほんの数件。
でも、その数件の中に、未来のクライアントや、人生を変えるきっかけがあるかもしれない。
だから僕は、明日も電話をかける。
走るように、リズムを保ちながら。
走ることについて語るときに、僕の語ること──それは、営業の話かもしれない。
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